こんにちは、台湾人のテスです。日本語が好きで日本も大好きです😍
更新が遅いですが諦めずに頑張って記事を書きます。
- 交通大学理系院卒(化学学部)
特に化学が嫌いでもない好きでもないけどとにかく無事に卒業できました
- 1年間大手半導体会社のプロセスエンジニア
高ストレスで楽しくない日々で転職しました
- 2年間新型太陽電池研究開発エンジニア
大学院の卒論は太陽電池なので楽しくやっていました
日本語を勉強し始めました
- 2017.9月日本にワーホリ
人生最高の1年でした。
- 2019.4月台湾に戻って太陽電池を研究し続く
一番人生迷っている時期でした
- 2020.8月ブログ始めました
失恋したけど日本に離れたくなくてブログ始めました
- 2023.6月また仕事をやめてカナダへ
英語圏の国で生活してみたく行きました
やりたいことが見つかったから、4ヶ月弱で帰国しました
- 2023.9月プログラミング勉強中
プログラマーを目指して勉強中です
初の仕事でつらい日々で転職
台湾は半導体技術が強くて、TSMCという世界一の半導体ファンドリーは、台湾で理系卒業生の就職第一志望です。
残業が多いですが、新入社員の1年目年収は100万元(~400万円)くらいで、高い給料で引っ張りだこです。
2020年の資料によりますと台湾で年収36万元の人数は全部の50%以上です。つまり年収36万元があれば半分の人に勝ちます。
私もこういう流れで卒業して、TSMCの関連半導体企業に採用されました。
ですがプロセスエンジニアの仕事で、ストレスが溜まっていて、退勤後も休日も工場から電話がかかってきて、全然リラックスができなくて…。
上司と気が合わなくて、まだ何も分からない新人なのに、新しい開発プロジェクトの担当になっちゃって、ただ唯一指導してくれる先輩が、彼女の病気で介護していて、毎日4時間くらいしか出勤しなくて…。
今考えれば、あり得ないことばかりで、部署を変えれば良かったのに、でもあのとき頭がいっぱいで、つらいつらいってしか考えませんでした。
つらすぎて、バイクで出社するとき、
「あーもし事故に遭ったら今日休めるんだー」って、何回も考えたことがあります。
そして体調が潰れて、体重が急に増えて、いつも不機嫌で彼氏と微妙な雰囲気になっていて、
「このままじゃだめだ!!」って思って決意して転職しました。
ワーホリを決めた
前職の経験で、「私、エンジニアに向いてないかな」って思いますが、別のやりたいことがなくて、給料を考えるとまたエンジニアを応募しまいました。
でもこれから一生このままエンジニアの仕事をして生きていくの考えると、やっぱり嫌で、毎日退屈だし、まだ両親が元気だし、「何でも捨てられる」、「何でも今よりマシだ」と思ったら、
とにかく逃げろ海外に!
ってワーホリに決意しました。
日本を選んだ理由
台湾でワーホリといえば、一番人気なのはオーストラリアです。
でも台湾人が多くて、英語を喋れなくても大丈夫だそうで、「なんか違うかな」と思って、日本だとまだオーストラリアより台湾人が少ないみたい、欧米の文化より、私日本の方が好きで、台湾に近し、何かあったらすぐ台湾に帰れるし、
よし、日本に決まりだ!!!
日本語独学
日本に行こうと決まったら、日本語を勉強しないといけないですね。
塾に行くかどうか迷っていました。最初は平仮名とカタカナを覚えてから、塾に行ってみようかと考えてましたが、なんだかんだ独学が順調で、仕事終わりの時間で勉強して、マイペースで楽しかったです。
出発する前に、N3を取得するという目標を立てました。
日本語能力試験はN1~N5、5つのレベルがあってN1は一番難しいです。大学で日本語学部の学生は卒業にN2が必須だそうです。
そして…
2017年の夏、日本語能力試験を受けて、秋、無事にN3合格でした!!
2017年の4月、ワーホリビザを申請して、順調に6月にビザがおりて、8月いっぱいまで働いて、9月に仕事をやめて、9月5日出発することにしました。
人生最高の1年、日本ワーホリ
日本に行くまでに、一人暮らししたことがありませんでした。うちの家族は少し過保護かもしれません。日本に行くとき、もう28歳ですが、両親が凄く心配していました。
あのとき、5年間付き合っていた彼氏がいて、
「どうせあなたは3ヶ月くらいで耐えられなくて、帰ってくるんでしょう」と言われて、
大事な人に否定されて、自分も自信がなくなってしまいました…。不安いっぱいで出発する日になりました。
- 2017.9~2018.4北海道ニセコ半年
台湾で日本のホテル系の派遣会社に応募して、Hiltonのレストランスタッフとして働いてました。中抜けというシフトで、朝ごはんと夜ご飯の用意担当して、朝の4時くらいに起きて、寮からホテルまでのシャトルバスを乗って、お昼頃帰ってお昼寝して、また午後4時くらい出勤して、帰ってくるのいつも夜の10時過ぎという生活が、本当にキツすぎました。
幸いに2ヶ月だけの契約で、なんとか耐えられました。
そして、12月に入って雪のシーズンです。台湾で雪が振らない、ずっと憧れのスキー場でバイトしていました。全く初心者の私、地元の他のスタッフのおじさんたちに、すごくお世話になって心から感謝しています。また皆に会いたいです。
スキー場でバイトする生活、滑るしかできませんでした。車がないから、スーパーに行くにもホテルのシャトルバスを利用して、不便で他のところに行けませんでした。毎日働いたり滑ったりして、夜は皆で鍋パーして喋って楽しい毎日でした。
この時期、一番仲良しの日本人の友達ができました。なるべく日本人と一緒にいるようにしていたので、日本語が伸びました。
- 2018.5京都1ヶ月
京都のゲストハウスに、住み込みヘルパーとして1ヶ月住んでいました。ヘルパーの仕事は、一日6時間、周4回くらいです。仕事終わって、お寺と神社を満喫して、休みの日に少し遠いところまでたくさん旅しました。
台湾人と日本人の夫婦が経営しているゲストハウスなので、9割のヘルパーは台湾人でした!着いてすぐみんなと仲良くなれて、たくさん良い思い出になりました。
四国を一周回って、岡山、広島、鳥取、島根に行きました。
- 2018.6~7福岡1ヶ月、長崎2週間
博多駅の近くにあるゲストハウスに、京都と同じように住み込みヘルパーの仕事を見つかりました。前のと違って、日本人のヘルパーが多くて、他に韓国人、香港人、ドイツ人、フランス人もいました。グローバルでした。
周2回くらい豚骨ラーメンを満喫しました。
そして京都に出会った台湾人が、「今長崎にいるから、来る?」って誘われたから、長崎に海が見えるゲストハウスで、ヘルパーすることになりました。小さい町で、ゲストハウスの自転車を借りてスーパーに寄ったりして、SUPを体験して、海をみてぼーっとしている毎日、最高に幸せでした。
- 2018.8静岡1ヶ月
「夏の伊東めっちゃ良いよ」って京都に出会った台湾人から聞いて、一緒に行くって約束してたので来ました。世界遺産のような、素敵なゲストハウスでヘルパーして、温泉、花火を満喫しました。観光地だからかな、毎週花火上がっていました。
初めて浴衣で花火大会を参加しました。オーナーさんのおばあちゃんが貸してくれて、着てくれました。
- 2018.9ビザ切れ帰国
最後に、北海道で知り合った日本人の友達と旅して、富士Qに行って悔いのないように、日本を満喫して台湾に戻ってきました。最高の1年でした。
行く前に、あんなに楽しく過ごせるのは思いませんでした。優しい人しか出会っていなくて、たくさんのお世話になって、ワーホリの経験を機に、日本を大好きになりました。
また人生に迷った
やりたい事が見つからないから、海外に逃げたけど、1年経って帰ってきて、状況が変わらないのを意識してショックでした。
「この1年無駄にしたのかな」って思ってしまって、就職しないといけないし、とりあえずまたエンジニアの仕事に戻って、また退屈な日々を感じて、すごい空虚感がありました。
また日本に戻りたいけど…「日本で何するの?」って聞かれたら、答えられませんでした。
エンジニアか研究職で日本で働きたい?別の仕事、ホテル、レストランで働きたい?私できる?本当にそれをやりたい?
とにかく仕事を辞める勇気がなくて、このまま過ごすのも嫌で、矛盾の自分がいました。
日本人彼氏と別れた
別れたことで、立ち直せなくてつらいでした。別れる経験がない訳ではないけど、多分、別れる方が納得できませんでした。相手は、日本にいる日本人の方で、遠距離で、言語の壁で、ちゃんと自分の思いを伝えられなくて、ちゃんと話し合えることもできなくて、あっけなく別れました…。
毎日つらくてつらくて、「もう少し、日本語がうまくなれたら、別れることにならないかな」、「もう少し、頑張れば…こんなことにならないかな」などのことをばかり考えていて、心配してくれる友達が心理学の本をくれました。
愛着理論を読んでいたら、私と同じ悩みを抱える人が、この世にたくさんいることを知って、「私、1人じゃないんだ!良くなる方法きっとある!」と思えるようになって、本当に本に救われました。
自分の弱さを気づいて受け入れ
本をいっぱい読んで気づきました。今までの自分は、いつも他人のせいにして、他人軸で生きてきました。私の一番怖いことは、愛されていないことだと気づきました。
本当は、「頑張らなくても、この世の誰でも愛される価値はある」、「誰だっても、世界只一つの素敵な存在だ」ってことは私は分かりませんでした。好かれるように、いっぱい我慢して、自分の気持ちを無視してきました。
そして考えてみれば、今まで別れた理由が全部同じでした。
付き合い始めに、嫌われないように何でも我慢して、不安しやすいタイプなのに、コミュニケーションが取れず、それで不安も不満も溜まる一方でした。素っ気ない態度に取られたら、「もう私のこと好きじゃないかな」、「好きじゃないのに、別れてくればよかったのに」と思いがちでした。
でも、誰だっても、機嫌が悪い時がありますよね。誤解を解けばよかったのに…いつもできませんでした。
「彼氏だったら、私の気持ちを第一優先すべきだ!」、「きっと私のこともう好きじゃないから…」
それでお別れしました。何回も。
何で私は、誰かに愛されていないといけないでしょうね?
自分で自分のことを愛してみれば?
幸せになるためにメンタル強くなりたい
まず他人軸から自分軸を取り戻そうとしました。
自分のことを一番大切にして、自分の気持ちを優先して、好きなものとやりたいことを探してみました。そしていつの間にか、恋愛以外のことも楽しめるようになってきました。
今までは、「OOさんはXXが好きそうだから、一緒に食べに行こう」という考えを持っていた私が、「私はOOが好きかも、食べてみようか!」ってなりました。もし自分の好きなものを発見したら、とても嬉しくなります。
「私も好みがある人になったんだ」って。
今まで好みがありませんでした。嫌いものはありますが、「これが好き!!!」ってものはありませんでした。でもそれも当然です。なぜなら、自分ことをちゃんと見てませんでした。
一から自分のことを知っていって、恋愛より楽しいです。むしろ、何で今までずっと自分のことを無視してきたのでしょうかね?
日本に繋がりたい
日本へワーホリに行って、その後、日本人と交際して、日本に繋がっていることは当たり前でしたが、別れた後、日本はもう私に関係ないことを気づきました。
ここまで日本語を勉強してきて、やめるのもったいないと思って、日本人のTwitterをフォローして、日本語で日記を書くことを始めました。そして、偶々フォローした日本人のアカウントがブログをやっているので、良くブログの伸びる方法のツイートしていて、
「日記を書くより、ブログの方が楽しそうじゃない?」と思い浮かびました。
ブログ挑戦する
そもそも書くことが好きで、日本語で書くのが初めてで新鮮で楽しいです。日本人が書いた記事より、日本語はもちろん比べないですが、何か台湾人の私じゃないと書けないことがあるかな、と考えながら、今日も発信しています。どうか応援してください~😊
長い文章を最後まで読んでくれてありがとうございます。これからもありのままで、自分らしく頑張っていきたいと思います。
テスより、2024 Jan.